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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)1325号 判決 1977年11月30日

控訴人

有馬政義

右訴訟代理人弁護士

藤井孝四郎

被控訴人

東京貨物運送健康保険組合

右代表者理事長

内田弘志

右訴訟代理人弁護士

松本栄一

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一申立

一  控訴人

1  原判決を取消す。

2  被控訴人は控訴人に対し金一七九万九〇〇〇円及びこれに対する昭和五〇年三月二九日から支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文同旨。

第二主張

一  控訴人の請求原因

1  被控訴組合は、健康保険法二九条一項、三四条の規定に基づき、昭和三六年一月一日に設立を認可された公法人であり、控訴人は、被控訴組合の設立準備段階からその準備業務に従事し、設立認可とともに職員として雇用され、当初は業務課長、昭和四〇年四月一日徴収課長兼務、昭和四四年四月一日兼務解任、昭和四八年七月一日徴収課長に補せられ、昭和四九年八月一五日六七才をもって退職したものである。

2  被控訴組合には、退職金に関する規程として、昭和三六年一月一日から施行された職員就業規則に基づく「東京貨物運送健康保険組合退職給与支給規程」があり、その第七条に別紙上段記載のとおりの一定の要件のある場合における普通退職給与金(同規程四条)に対する五割以内の増額支給の定めがあったところ、右規定は、昭和四八年四月二四日別紙下段記載のとおりに改正、施行されるに至った(以下、改正前の規程七条を「旧規程」、改正後の同条を「新規程」、改正の前後を問わず同条に基づく退職給与金を「増額退職金」という。)。

被控訴組合は、控訴人の退職に関しては普通退職給与金として金三五九万八〇〇〇円を支給したが、増額退職金を支給しなかった。

3  しかしながら、被控訴組合は控訴人に対して増額退職金として金一七九万九〇〇〇円を支給すべき義務がある。すなわち、

(一) 増額退職金に関して、新旧規程は、いずれも「五割以内増額支給することができる。」と規定しているけれども、退職金の経済的性格として本質的なものは賃金の後払いと解すべきであり、かつ就業規則に明定されている退職金であるから、その支給、不支給を被控訴組合が任意的、恩恵的、恣意的に決することは許されないものというべきである。

したがって、旧規程の前段支給対象者たる「役付(係長以上)円満退職者勤続一〇年以上の者」の要件は客観的に明白であるから、その場合の「五割以内増額支給できる。」との規定は、金額の決定についてのみ理事会に裁量権を付与した趣旨のものであることが明らかというべきであり、かつ理事会は支給額を零とすること、すなわち不支給の決定をすることは許されないものと解すべきである。

また、旧規程の後段支給対象者たる「組合に特に功労のあった者」についても、その退職金の経済的性格には前段の場合と差異はないのであるから、この場合においても「五割以内増額支給できる。」との規定は、右の条件に該当する支給対象者については、前段の支給対象者について前述したところと同様、支給金額のみについて理事会に裁量権を付与したものと解すべきである。

そして、以上のことは新規程の解釈についても、そのまま承継されるべきものである。

ところで、新旧両規程に基づく増額退職金を支給するについては、支給金額の確定を要するものであるが、その確定にあたっては、被控訴組合における支給慣行に則った支給条件が基準とせられるべきである。

しかるところ、被控訴組合は、昭和四三年八月に退職した職員寺川直吉が被控訴組合の設立準備当初から高令にもかかわらず職務に精励したとの理由により、旧規程の「特に功労のあったもの」に該当するとして同月一三日五割の増額退職金支給決定をしているから、これによって、新、旧両規程の「特に功労のあったもの」についての増額退職金に関しては、(1)被控訴組合の設立準備時代から勤務している職員であること(2)職務に精励したこと。その具体的内容は寺川の勤務の内容をもって標準とすること(3)以上の場合には、支給額は最高額である五割とすること、との具体的基準が存在するものと解すべきである。

旧規程の「役付(係長以上)円満退職者勤続一〇年以上の者」についても、「特に功労のあったもの」と一括して五割以内の増額支給を規定していることを勘案すれば、前記の具体的基準は、この場合にも準用ないし類推して判断すべきものとするのが条理上妥当である。

以上要するに、新旧両規程は、右規程に該当する退職者が被控訴組合に対して増額退職金請求権を有し、被控訴組合がその支給義務を負担することを定めた規定であると解すべきものである。

(二) 控訴人の退職については、旧規程が適用されるべきである。

すなわち、退職金給与支給規程は、前記のとおり就業規則として定められたものであるが、就業規則を一方的に変更することは、全く許されないか、あるいは少くとも合理的な理由がある場合でなければ許されないと解すべきものであるところ、本件において旧規程を新規程に変更したのは、被控訴組合の一方的な都合によるものであり、しかも改正時点において勤続一〇年以上の役付職員であった控訴人の既得権を侵害する不利益なものであって、合理的理由によるものということはできないから、控訴人の退職に関しては旧規定が適用されるべきものである。

そして、控訴人がその退職時において旧規程の「役付(係長以上)円満退職者勤続一〇年以上の者」に該当することは明白である。

(三) 仮に、控訴人の退職に関して新規程が適用されるべきものとしても、控訴人は同規程の「組合に特に功労のあった者」に該当するものである。

すなわち、「組合に特に功労のあった者」とは、被控訴組合の性格、事業内容等を勘案すれば、長期に亘って被控訴組合に勤務し、欠勤遅刻等も少なく、平素の勤務態度も真面目で、命ぜられた職務を忠実に履行してきた者をいうものと解すべきである。控訴人は前記在職期間中終始一貫忠実にその職務を遂行してきた。欠勤したのは、昭和三七年二月ころ傘下事務所に保険料徴収に赴いた際風邪にかかった一週間だけで、他には遅刻したことさえ一回もない。業務課の担当職務中、健康保険法三条に基づく標準報酬改訂作業は厖大なものであるが、控訴人は毎年八月所管課長として酷暑の一か月間連日午後八、九時ころまで居残り、卒先してこれに従事した。また、昭和三八年ころ、連日貨物運送業者を廻って説得した結果、相当数の事業所を被控訴組合に加入させることに成功した。これによって被控訴組合は加入事業者数、被保険者数が飛躍的に増加し、その財政運営にもプラスとなった。その他にも、昭和四〇年ころ、控訴人の精力的な活動の結果、東京貨物自動車厚生年金基金の設立発足が実現した。

(四) 控訴人の右のごとき業績に照らせば、控訴人に支給されるべき増額退職金は、寺川の場合に比較してこれを下廻るべき理由は全くなく、前記の具体的基凖によって五割をもって相当とするものというべきであり、そうとすればその額は金一七九万九〇〇〇円となる。

4  被控訴組合は控訴人に対して不法行為に基づく損害賠償として金一七九万九〇〇〇円の支払義務がある。

すなわち、控訴人を含む被控訴組合の職員は、旧規程において「役付(係長以上)円満退職者勤続一〇年以上のもの又は組合に特に功労のあったもの」に対して五割以内の増額退職金を支給する旨定められていたので、右規程の適用を受けられるものとの期待を有していたのであるが、前記のように寺川に右規程が適用されたことによって右の期待は法によって保護されるべき利益すなわち期待権となったものである。

しかるに、被控訴組合は、控訴人が新旧いずれかの増額退職金支給の規程に該当するものであることが客観的に明白であるにもかかわらず、理事会にも付議せず、増額退職金の支給をしない。

被控訴組合がかかる態度をとっている最も大きな動機は、控訴人が被控訴組合の幹部たる課長職にありながら、結成直後の労働組合に加入したことにあるものである。被控訴組合のとったかかる措置は不当労働行為であって許されないものである。

控訴人は、被控訴組合の故意又は過失に基づく前記の行為によってその有する期待権を侵害され、支給さるべき前記増額退職金額一七九万九〇〇〇円相当の損害を被ったものであるから、被控訴組合は控訴人に対して右の損害を賠償すべき義務がある。

5  よって、控訴人は被控訴人に対して、選択的に、新旧規程に基づく増額退職金支払義務の履行又は不法行為に基づく損害賠償義務の履行として金一七九万九〇〇〇円及びこれに対する退職給与支給規程による履行期又は不法行為の後である昭和五〇年三月二九日(訴状送達の日の翌日)から支払いずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  被控訴人の認否及び主張

1  請求原因1は認める。

2  同2は認める。

3  同3について

(一) 同(一)のうち、被控訴組合が控訴人主張の日時、寺川に対して控訴人の主張のとおりの増額退職金を支給したことは認めるが、その余は争う。

新旧両規程は、増額退職金を支給するか否か及び支給するとして何割が適当かを決定してこれを理事会に付議する自由裁量権を理事長に与えている規定と解すべきである。

すなわち、新旧両規程の「特に功労のあったもの」についていえば、右の要件に該当するか否かが先ず検討され、功労ありとの結論を得てはじめて五割以内の増額の可否が裁量によって決定されるものである。旧規程の「役付(係長以上)円満退職者勤続一〇年以上の者」については勤続一〇年以上の役付職員であっても、被控訴組合に特に功労のあったと認められない者もあるし、その勤続が恩恵的な場合もあり得るから、これら諸般の事情を考慮して増額支給をするか否か、支給するとすれば何割が適当かを決定するのである。そして、いずれの場合においても理事会に付議するか否かの判断は理事長の裁量に委ねられているものである。

因みに、被控訴組合の労働組合も昭和四九年二月二五日付意見書において新規程に関し、「裁量規定とせず増額率を明記されたい」との意見を申出ているのであるが、これは前記のような解釈をとることが労使間に争いのなかったことの証左である。

寺川に対して前記増額退職金を支給したのは、同人が昭和四二年八月一五日病気休職となり、休職期間満了により昭和四三年八月一六日退職したため、控訴人と同様被控訴組合の設立当初からの職員でありながら再起不能の病気により在職七年八か月にして退職を余儀なくされ、その退職金は退職給与支給規程の適用上、一五万八六二七円としかならないので、救済策として旧規程を適用して限度一杯の五割の増額退職金を支給するのを相当と認めたことによるものであるが、それとても僅かに七万九三一七円にしか過ぎず、控訴人の場合とは事情が全く異るのである。

しかも、右規程を適用したのは右の例一件のみであり、新規程については、その適用を受けた者は皆無である。

(二) 同(二)の控訴人の退職について旧規程によるべきであるとの主張は争う。

旧規程の「役付(係長以上)円満退職者勤続一〇年以上のもの」を削除して新規程に改めたのは次の理由によるものである。

本来、所定退職金を増額するのは、当該職員の使用者に対する貢献度が至大であって、職階制によって設けられた給与の差によって生ずる一般職員との退職金の多寡のみではこれに報いるに充分でないと認められた時にこれを補う措置として規定されるのが一般である。しかるに、被控訴組合の旧規程は、この一般的な考え方を「できる」なる表現で規定していたために、設立後一二年を経過し、今後退職する職員のほとんどが勤続一〇年以上の者となる可能性が強く、役付職員はその期待される被控訴組合への貢献度の如何にかかわらず、一般職員と別異の取扱いを受け、単に一〇年以上勤務することにより当然増額退職金の支給の対象となるかのごとき誤解を受ける虞れがあったから、改正したものである。

したがって、右改正には合理的理由があるというべきであるから、控訴人の退職については、新規程によるべきである。

(三) 同(三)は争う。

健康保険法三条に基づく標準報酬月額の改訂事務は控訴人の主張するとおり多忙なものではあるが、これは業務課員が残業し、他課の協力を得てしているもので、控訴人ひとりのみが多忙であったわけのものではない。

また、控訴人は、厚生年金基金の嘱託として一定の手当を受けてこの業務に従事していたものであるから、各事業所を廻って勧誘したのも右手当に対する当然の責務であって、被控訴組合の事業の執行に裨益したものでもない。その他、控訴人が特に功労があったものと目すべき事績は格別存しない。

しかも、控訴人については、その労に対して既に充分報いている。

すなわち、被控訴組合の就業規則には当初停年の定めがなかったのであるが、昭和四三年一一月就業規則を改正して役付職員については六〇才を停年とした。控訴人は当時六〇才と三か月になっていたため改正規則をそのまま適用すれば、昭和四三年一一月末日勤務七年一一か月をもって退職せざるをえなかった。しかし、被控訴組合としては、設立準備の時から実質上被控訴組合の事務に関与し、設立後は課長職にあった者を規則改正とともに退職せしめることは、たとえ旧規程を適用して五割の増額退職金を支給しても退職金総額は九八万五六二四円にしかならず、情において忍び難いものがあったので、理事会において控訴人には特に右停年制を適用しないこととし、昭和四九年八月一五日まで引続き同一資格をもって雇用することとした。その後、退職金給与規程の改正により在職六年以上の者の支給率が大巾に引上げられ、また高額のベース・アップがあったこととも相俟って、控訴人は右の五年九か月の停年延長の恩恵によって退職金は停年による退職時に五割増額支給した場合の三・六一八倍にもなり、かつこの間に受けた給与は合計一二三九万〇四五〇円にも達しているのであるから、控訴人の功労は既に報いられて余りあるものといわなければならない。

(四) 同(四)は争う。

4  同4は争う。

三  被控訴人の主張3(三)に対する控訴人の反論

被控訴組合において、その主張の日時、就業規則を改正して主張のとおりの停年制を設けたことは認めるが、労働者の不利となるような就業規則の一方的改正は許されないものと解すべきであり、そうでないとしても、控訴人と被控訴組合との間には、その労働契約において、控訴人には停年制を適用しない旨予め合意されていたものであるから、控訴人について停年制が適用されることを前提として、控訴人に対しては既にその功労に報いているとする主張は失当である。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1及び2については当事者間に争いがない。

二  増額退職金の請求について

1  新旧規程による増額退職金請求権の有無

一般に退職金の支給が就業規則等に定められている場合に、右規定に基づく退職金の支給をもって労使間の権利義務関係というためには、支給するか否か及び支給するとして額をいくらにするか等の支給条件が労使間を規律拘束する基準となり得る程度に具体的明確に定められていて、かつ、これについて使用者が当然支払義務を負担する趣旨のもので、使用者の一方的意思に基づく裁量によって支給の有無及び支給金額が決せられるものでないことを要するものというべきである。けだし、請求権があるとするためには、支給すべき金額を含めてその内容が具体的に確定できるものでなければならないことはいうまでもないところであり、また支給条件が明確に定められずに使用者の一方的意思によって決せられる場合には、退職金の支給は義務の履行としてではなく、恩恵的給付としてなされるものとみるよりほかないものというべきだからである。

本件についてこれをみると、旧規程の「役付(係長以上)円満退職者勤続一〇年以上の者」というのは、条件として明確であるけれども、「五割以内」というのは、それだけでは五割以内のいくらとすべきなのか具体的場合における算定基準が全く不明であり、さらに「増額支給することができる。」までを通じて全体としてみれば、支給するか否か及び支給するとして額をいくらにするか等の支給条件は結局不明確であって、被控訴組合が当然一定額の支給義務を負担するとは到底いえず、所詮これらの決定は被控訴組合の裁量判断に俟つよりほかないものというべきである。

新旧両規程の「組合に特に功労のあったもの」を支給対象者とする増額退職金については、右の対象者に該当するか否かについて被控訴組合の裁量判断を必要とするから、右に述べたことはより一層妥当するものというべきである。

そうとすれば、新旧両規程の定める増額退職金の支給は被控訴組合と職員との間の権利義務関係ということができないから、被控訴組合の職員は右規程に基づいては被控訴組合に対して増額退職金請求権を有しないと判断すべきものといわなければならない。

そして、右の判断は退職金の経済的性格の如何によって影響を受けるものではないというべきである。

すなわち、たとえ退職金の経済的性格の本質的なものが賃金の後払いであると解すべきものとしても、そのことから直ちにある具体的な退職金の法律上の性質が賃金であって、その支給が権利義務関係であるということにはならないものというべきである。けだし、個々の使用者が退職金の支給を義務的なものとして定めるか、それとも単に恩恵的なものとして止めるかは、当該使用者においてその方針や諸事情に応ずる労務ないし賃金対策の問題として選択の許されることであって、必ずしも義務的なものとして定めなければならないというものではないからである。本件において、成立に争いのない(証拠略)(改正前及び改正後の被控訴組合退職給与支給規程)によると、被控訴組合には給与額と勤続年数によって算出され、したがって賃金としての請求権を有するものと認めるべき普通退職金の制度が明定されている事実が認められ、右事実に弁論の全趣旨をあわせると、本件の増額退職金制度は、右の普通退職金をもっては功労に報いるに充分でないと認められる場合に、これを補うものとし、かつ役付勤続一〇年以上の者であっても功労の度合には自ら差異があり得るものであることを考慮して、一律に一定額を当然増額給付すべきものとして定めずに、増額給付をするか否か及び増額給付するとして額をいくらにするかについての決定を被控訴組合の裁量判断に委ねた趣旨のものと解されるのである。

2  寺川直吉に対して増額退職金を支給したことを根拠とする増額退職金請求権の有無

一般に退職金の支給につき就業規則等に明示の定めが存しない場合であっても、客観的に明確な支給基準に基づく支給が慣行ないし先例として確立されている場合には、使用者は支給義務を負担するということができるとしても、前示のように就業規則に裁量規定と目される明示の規定が存する本件のごとき場合においては、支給義務があるとする慣行が確立しているものとはたやすく認められない。のみならず、弁論の全趣旨によると、被控訴組合が増額退職金を支給したのは、設立以来現在に至るまで寺川に関する一件のみであることが認められるから、いかなる意味においても明確な基準に基づく支給慣行が確立しているものとは到底いえないことが明らかというべきである。しかも(人証略)によると、寺川に増額退職金を支給したのは、病気休職によって普通退職金が減額されたのを救済するためになされた特別の措置であることが認められるから、先例としても顧慮に値いしないものというべきである。

結局、寺川に増額退職金を支給した事実は、控訴人に増額退職金を支給すべき根拠とはならないものといわざるをえない。

3  本件すべての証拠によっても以上の認定判断を左右するに足りる事実は認められない。

したがって、控訴人が被控訴組合に対して増額退職金の支払いを求める請求は理由がないといわなければならない。

三  不法行為に基づく損害賠償請求について

増額退職金を支給するか否かは、前示したとおり被控訴組合の裁量によって決せられるものであるから、控訴人に対して増額退職金を支給しない理由が、もっぱら控訴人が労働組合に加入したことによる等の不当差別に基づく裁量権の濫用と目される場合でもあれば格別、一般に増額退職金を支給しないことをもって期待権を侵害するものとして不法行為にあたるとする余地はないものというべきところ、控訴人に対して増額退職金を支給しなかったのが右のごとき不当な差別に基づくものである事実は、これを認めるに足りる証拠がない。

かえって、(人証略)によると、控訴人に対して増額退職金を支給しなかったのは、被控訴組合の理事らが、被控訴組合の退職金が参加事業所のそれに比して高額に過ぎるとして増額退職金を支給しないように運用すべきであるとの態度をとっていたうえ、とくに控訴人に関しては、就業規則所定の停年が適用されずに延長されしかもその間ベースアップがあったこととも相俟って、普通退職金及び停年延長期間中の給与の支給をもって既に功労に対して報いていると理事長らが判断したことによるものであって、控訴人が労働組合に加入した等のことを理由とする不当差別に基づくものではないことが認められる。

なお、新旧規程上、増額退職金の支給は、理事会の決議によって定めることとされているところ、弁論の全趣旨によると控訴人に関する増額退職金の支給の可否に関しては理事会に付議されずに理事長かぎりにおいて支給しないことに決したものであることが認められる。

しかしながら、仮に右の理事長の措置をもって規程ないし善管義務に違背する手続上の瑕疵があると解すべきものとしても、控訴人に対して増額退職金を支給しなかった理由が前示のとおりであってみれば、たとえ理事会に付議されても支給の決定がなされたと認められる事情には全くなかったといわざるをえないから、右の手続上の瑕疵は結果(不支給による損害)の発生に対してなんらの影響を及ぼすものではないというほかはない。

したがって、控訴人の被控訴人に対する不法行為に基づく損害賠償請求も理由がないといわなければならない。

四  よって、原判決は相当であって本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 安岡満彦 裁判官 内藤正久 裁判官 堂薗守正)

別紙 東京貨物運送健康保険組合退職給与支給規程

旧規程

(その他の場合の増額又は減額支給)

第七条 役付(係長以上)円満退職者勤続一〇年以上の者又は組合に特に功労のあったものには、給与金を五割以内増額支給することができる。

<省略>

第一項及び第二項の場合は理事会の決議によりこれを定める。

新規程

第七条 組合に特に功労のあった者には、給与金を五割以内増額支給することができる。

<省略>

第一項及び第二項の場合は理事会の決議によりこれを定める。

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